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■日本最古の書物「古事記&日本書紀」に登場
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書物名
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伊吹山との関連
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奈良初期
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古事記
712年
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尾張に入った倭建命(=日本武尊)は、かねてより結婚の約束をしていた美夜受媛と歌を交わし、その際媛が生理中であることを知るが、そのまま結婚してしまう。そして、伊勢の神剣草薙剣(天叢雲剣)を美夜受媛に預けたまま、伊吹山(岐阜・滋賀県境)へその神を素手で討ち取ろうと、出立する。
素手で伊吹の神と対決しに行った倭建命(ヤマトタケルノミコト)の前に、白い大猪が現れる。倭建命はこれを神の使いだと無視をするが、実際は神自身の化身で、大氷雨を降らされ、命は失神してしまう。 |
山を降りた倭建命は、居醒めの清水(山麓の関ヶ原町あるいは米原市の醒ケ井あり)で正気をやや取り戻すが、すでに病の身となっていた。
弱った体で大和を目指して、当芸・杖衝坂・尾津・三重村(岐阜南部から三重北部)と進んで行く。ここでは地名起源説話を織り交ぜて、死に際の倭建命の心情を映し出す描写が続く。そして、能煩野(三重県亀山市〉に到った倭建命はついに「倭は国のまほろば」以下の4首の国偲び歌を詠っ て亡くなるのである。【関連記事】
日本武尊の前に現れたのは
伊吹山の神の化身
古事記では白い大猪が登場→
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美夜受媛の経血について詠まれた和歌はないが、宮簀媛との結婚や、草薙剣を置いて、伊吹山の神を討ちに行く経緯に古事記と差はない。
日本武尊が伊吹の神の化身の大蛇をまたいで通ったことから、神に氷を降らされ、意識が朦朧としたまま下山する。居醒泉でようやく醒めた日本武尊だが、病身となり、尾津から能褒野へ到る。
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| ここから伊勢神宮に蝦夷の捕虜を献上し、朝廷には吉備武彦を遣わして報告させ、自らは能褒野の地で亡くなった。時に30歳であったという。国偲び歌はここでは登場せず、父親である景行天皇が九州平定の途中に日向で詠んだ歌となっており、倭建命の辞世としている古事記とほぼ同じ文章ながら印象が異なる。 |
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伊吹山が、当時多くの人がたしなんだ、和歌によく登場するようになったのは、都が奈良からに遷都した平安時代(794〜1086)及びそれ以降で各種記録がある。
都が京都に移ると、 「伊吹山 」は都により近い存在となり、多くの人々が和歌を作るようになった。歌を見ると当時の女官、殿上人達の確執などがうかがえて面白い。 |
高級ブランド品「伊吹もぐさ」を題材に歌った「和歌」
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特に、伊吹山自生のオオヨモギは、お灸の材料として高級ブランド品として全国に知られていました。
<恋歌の題材=伊吹のさしも草>
その特徴として、一度火をつけると消えにくく、長時間熱さが持続するということから、愛の燃ゆる想いを表す、 | |