日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の伝説
 伊吹山は、古より人々の生活と密着してきた歴史と伝説に彩られた山で、『古事記』や『日本書紀』にもたびたび登場します。

【伝説】日本武尊(やまとたける)が東の国征伐から帰る途中、伊吹山に荒神がいることを聞き、その荒神を征伐するために伊吹山に登られました。
 山頂近くに達すると大きな白いイノシシが現れたため、尊は弓矢で威嚇してさらに進まれました。
 しかし、なぜか急に毒気にあたって熱を出し気を失われました。実は、このイノシシは山の神の化身で、その怒りにふれたからです。
 家来は、尊を背負って退散し、麓の清水が湧くところで尊に冷水を含ませると、たちまちに目が醒められました。
 以来、この地は醒ケ井と呼ばれています。また、一説には、日本百名水の一つ、山麓の大清水の泉神社湧水とも伝わります。
 その後、尊は伊勢の「能ぼ野」に行かれ、ここでで亡くなったとされています。
▲山頂の日本武尊像は、山麓上野区の里人と中京方面の有志が明治45(1912)年6月に石像を山頂に運び、同年(大正元年)10月にこの弥勒堂近くに礎石を築き建て、供養を行ったと伝わります。
【伊吹山の呼び方のいろいろ】
 伊吹山が歴史上での初見は古事記ですが、伊吹山の呼称には「膽吹山」、「伊服岐能山」、「夷服岳」、「伊布貴」、「伊福貴」、「五十葺」、「異吹」、「意布貴」、「伊夫岐」、「伊服岐山」など実に沢山あります。